近代社会と文化の雛型

演劇にとって、近代ほど大きな転換を迎えた時期はほかにありません。フランス革命と産業革命が民主主義と資本主義をもたらし、それがヨーロッパの外へも伝播していったことはよく知られていますが、近代演劇にも同じようにグローバル・スタンダードが初めて現れることになります。伝統的に、普遍性を表わす高貴な人物が描かれてきた「悲劇」の主役を市民が取って代わり、客席にも市民が姿を見せ始める。また演劇は、近代都市のエンターテイメント産業に成長する一方で、インテレクチュアルな層でのみ受容される芸術至上主義の反動も見られます。人や物の移動が珍しくなくなる近代には、このような変化は多くの国に見られ、戯曲はすぐに翻訳されて他の国でも上演され、ローカルな文化は、他家受粉を糧にしてそれぞれ発展していきます。近代演劇の国際的共通部分に焦点をあてると、わたしたちの現代社会の来歴、近代の文化の核が生成されるプロセスを知ることになるのです。授業では、映像や図版を紹介しながらその変化を理解していきます。

多声(ポリフォニー)が響く劇場空間

ネットが発達した現代でも、重要なことほど直接会って話すことが多いのではないでしょうか。人は集まると、高揚感と一体感が生まれてある種の催眠効果が生じます。演劇のルーツが「祭り」なら、その高揚感や一体感はミュージカルなどにも引き継がれていると言えるでしょう。しかし多声(ポリフォニー)と聴くという、まったく異なる目的もまた、演劇の特徴です。文化、イデオロギー、階級、ジェンダーなどの差異を前提としながら、同時に決して一体化することのない、自立した複数の声や意識が織りなす関係は、通常、戯曲の対話に書き込まれていて、複数の声は俳優の肉声となって劇場空間に響くことになります。すると観客はそれぞれの声のみならず、その背景にあるさまざまな差異に注意を向け、自らが所属する共同体に潜在する小さな、かき消されそうな声をも耳を傾けずにはいられなくなります。止むことのないグローバル化への対抗手段として、多声を聴く体験は近現代の社会ではいっそう大切になってきたのではないでしょうか。

西洋演劇の読み直し―日本、そしてわたしの視点から

無意識のうちに西洋文化を憧憬の対象にしてきた近代日本のジレンマは、西洋演劇の受容においても、同じことが言えます。能、文楽、歌舞伎は同時代演劇であることを止めて伝統化し、代わって西洋由来の演劇が現代演劇として独自の発展を遂げていきます。21世紀の現在、オリエンタリズム、オキシデンタリズムなどの議論は収束したものの、西洋文化との関係の再検討の重要性は消えておらず、西洋演劇をアジア、日本、そしてわたしの視点から読み直すこともまた、必要不可欠だと思われます。わたしたちが生きる社会が、いったいどのような層の上に成立しているのか―演劇の社会史、文化史的想像力は、現在のわたしたちの在り方へ示唆を与えてくれるのではないでしょうか。

国際コミュニケーション学部 表現文化学科 藤岡 阿由未 教授

演劇という絵空事こそ、
現実を生き抜く糧にしてほしい

国際コミュニケーション学部 表現文化学科 藤岡 阿由未 教授

文学や演劇における「物語」は、何千年も前からどの文化にも存在しています。なぜ一日の間に青空と夜空が入れ替わり、なぜ長く雨が続く季節があり、なぜ人は生まれ、自分も愛する人もやがて死んでしまうのか―そうした世界の成り立ちの不思議を、人々は「物語」によって理解してきました。「物語」と現実との行き来を繰り返しながら、人間は現実社会を形作ってきたのです。劇場で観客が体験する「物語」は、もちろん絵空事にすぎませんから、それそのものが何かの役に立つわけではありません。けれども、どのような状況も設定可能な「物語」において受け手は、現実の自分の生き方と異なる経験をし、様々な局面を体験的に会得することができる―つまり「物語」の体験は、現実を生きるために、具体的な道筋を与えてくれるのです。